山田方谷の財政改革について
以下の文章は財政担当時代の平成20年頃にまとめたものです。
山田方谷の改革は現代の行政運営にも通ずるものがあります。
上杉鷹山を尊敬し、鷹山を上回る財政改革者と言われる山田方谷は備中松山藩(今の岡山県高梁市一帯)で河井継之介(司馬遼太郎の「峠」の主人公)や三島中州(二松学舎大学の創設者)を育てた教育者であり、幕末を代表する陽明学者でもありました。
5万石の備中松山藩は約600億円(10万両)の借金を抱え、その貧窮した財政をたった8年で余剰金約600億円(10万両)の黒字に変えた財政改革の秘密はなんだったのか?
1、 財政の実情を掴む
方谷が元締役を拝命して真っ先にやったのは藩の財政状況の詳細な調査でした。表向きは5万石ですが、19,300石にすぎないことがわかったのです。約600億円(10万両)の借金を抱え、今で言う公債依存度は71%。どこでも財政が苦しくなると粉飾決算を重ねてしまいます。まずは財政の実情を知るということでしょうか。
2、 情報公開
方谷は多額の負債整理のために、藩の実情を包み隠さず債権者である大阪の両替商に説明しました。「一時的に粉飾していたことがばれ、信用を落とすことがあっても、寧ろ後々の大きな信用を得ることになる。」誠実さを武器にすべてをぶちまけることで実際的な改革計画を立て、逆に信用を得ていったようです。
3、 藩札刷新による藩の威信回復
藩札は各藩の発行する紙幣であるが、方谷が改革に着手した時には備中松山藩の藩札は紙くず同然でした。方谷は3年間という期限を区切って藩札を貨幣(幕府の正貨)と交換するお触れを出します。回収された藩札は約8,000両(財政規模の2割)という莫大な額です。方谷はこれに未使用の藩札3,836両を加えて、大観衆の面前で焼却する、という大キャンペーンを実施します。藩政改革の決意表明であり、藩の威信を取り戻す大イベントでした。新たな藩札は殖産興業で得た準備金もあり抜群の信用を勝ち得たといいます。
4、 殖産興業
銅山、鉄山の藩の直営化、備中鍬の発明と普及。大阪蔵屋敷の廃止と米の直売。「撫育方」(藩内の事業部門)の創設。杉、竹、漆、タバコ、柚餅子(ゆべし)、檀紙などの産品の「ブランド化」、海路江戸に輸送し「直接販売」…。特にこの時代に侍に商売をさせる「撫育方」の発想とその活躍は見事なものだったようです。
5、 上下節約政策
上下倹約といいながら、それは下級武士や農民は生活を変えるわけではなく、実質的に中級以上の武士や豪農、豪商を対象にしたものであった。藩士の棒録は大幅なカットになり、暗殺の噂さえあったという。賄賂や酒馳走を全面廃止したことにより風紀が引き締まった。藩侯板倉勝静も率先垂範したというから優れた人だったようです。
6、士民撫育
撫育とはかわいがるということです。撫育方という組織を藩に作りました。
「藩主の天職は、藩士並びに百姓町人を撫育することにあります。」「撫育方と名づけるわけは、撫育を主として人民の利益をはかり、そのうちから自然に上の利益も生じ、その利益によってお勝手もしのぎやすくなり、そうすれば、人民の年貢米もかからぬこととなり、それがまた撫育になるのです。」
藩政改革の目標は「上下ともに富む」ということにあった。
7、 教育改革
方谷は庶民教育の重要性を説き、近隣の大藩を凌ぐ充実振りで、助教には民間の秀でたものをあて、優秀な生徒には賞を与え、士分に登用し、役人にも抜擢したので、向学心の高い優れた子弟が集まった。
8、 軍制改革
「里正隊」という農兵制度は高杉晋作の「奇兵隊」より10年も早かった。久坂玄瑞は「長州の鉄陣遠く及ばず」と感嘆したと伝えられています。この「里正隊」は長岡藩の河井継之助率いる近代的軍隊に繋がっていきます。
山田方谷はこう書いています。
「総じて善く天下の事を制するものは、事の外に立って事の内に屈しないものだ。しかるに当今の理財の当事者は悉く財の内に屈している」
「財の外に識見を立て、道義を明らかにして人心を正し、習俗の浮華を除き風紀を敦厚にし、賄賂を禁じて官吏を清廉にし、民政に努めて民物を豊かにし、正道を尊重して文教を新興し、士気を振るい武備を張るならば、政道はここに整備し政令はここに明確になる。かくて経国の大道は治まらざることなく、理財の方途もまた従って通じる。」(「理財論」)
…財政改革といえば、とかく収入の増加と支出の削減をいかにするかということのみにとらわれてしまい、その他のことは財政再建の名の下に片隅に追いやられてしまいがちになる。
しかし、これではいけない。風紀やモラルが荒廃し、教育水準が低下し、社会が閉塞した状態では、いくら財政の算盤勘定が合っていても長続きはしない。あとで大きな反動が返ってきて、前よりも一層悪い状態になってしまう。
厳しい倹約と緊縮財政だけでは、経済が、社会が萎縮・停滞してしまう。額に汗して働く領民(国民)が報われ、豊かになるよう、いかにして経済に、社会に活力を与えていくかということに心を砕かなければいけない。つまり、領民を富ませ、幸福にさせ、活力のある社会を作ることが必要なのである。
(「山田方谷に学ぶ財政改革」野島透)より